袖摺り合うも他生の縁

忙しいとは、心を亡くすと書きますが、本当にその通りで、忙しいと優しい気持ちを亡くしがちです。
でも忙しくとも、優しい一言や、笑顔は忘れたくないと思います。顔施と言って顔だけで施しが出来ると、お釈迦様?もおっしゃっています。
 

さて、先日、レジで並んでいると、目の前にお菓子をたくさん手に持った5歳ぐらいの女の子が来ました。
先にレジに行こうとしたので、私が「どうぞ、先にしていいわよ」と言いました。
するとその子供のおじいさんが現れ「先にやって良いってさ」と子供に言い、さらに自分が選んだ封筒まで一緒に精算しました。
 
私のほうは見ようともしません。
もちろん、こちらにお礼も会釈もなしです。
私の父より少し若いぐらいの年齢です。悲しくなりました。
「ありがとう」と言い、孫に対しても「『ありがとう』って言いなさい」と言えば、気持ち良く一日が過ごせるのに。
 
袖摺りあうも他生の縁 という言葉があります。
 
今電車で横に座って袖を摺りあわせている人も、もしかしたら前世兄弟だったかも知れない、もしかしたら来世で親子になるかも知れない。
たくさんの時間と広い世界の中で、この一瞬同じ場所に居合わせる偶然は、縁があってのものに違いないという意味です。
他生とは、前世、来世など他に生まれるという意味で、多少ではありません。
 
そう考えれば、全然知らない他人であっても、否知らない他人だからこそ嫌な思いをさせないようにしようと自然に思います。知っている人ならば、後で謝ることも言い繕うことも出来ますが、知らない人には無理ですからね。
来世を信じる訳ではありませんし、来世で会えるとは限りませんし
 
数年前にインドに3ヶ月ほど居たことがありますが、少し話をしただけの人やエレベーターで一緒になった人などがよく
「今日一日、あなたに神のご加護がありますように」と言ってくださったりしました。
私は「あなたもね・・・」ぐらいしか答えられませんでしたが・・・。
相手の神が、キリストであってもヒンドゥであっても関係なく「袖摺りあった人は幸せになって欲しい」という思想があるからかも知れません。来世を信じる思想は、優しさを持つと
 

 
またレジの話に戻ります・・・・東急ストアで買い物をしてレジに並んでいた時、私のカゴには一杯の商品がありました。ふと後ろを向くと年配の女性が、カゴの中に商品を一つだけ入れていました。
私は「お先にどうぞ、悪いですから」と言いました。
すると女性が「ありがとう、でも良いんですよ。私はいくらでも時間がありますから。若い人はお忙しいでしょう?」と断られました。
私は「じゃあすみません」と言い、先にレジを通りました。
その女性のスマートな断り方が素敵で、気分が良くなりました。
 
それて、帰宅して夫にその話をすると、夫が言いました。
「そのおばあさん、間違ってるよ。若い人より時間がたくさんあるなんて・・・」
そりゃそうですけど
 
 
 

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(イッツコム・なかはらスマイル2014年7月)

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